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6インチの墓標
暗闇の中で火の玉のような光がゆらゆらとあなたの顔を照らす。ブルーライトカットフィルムを貼っていない私の2024年のスマートフォンは、角膜や水晶体で吸収されない強い光を網膜まで届ける。それはただの光ではない。死んでビニール袋に詰められた人間の体だったもの、無麻酔で行わざるを得ない四肢の切断手術、瓦礫に埋もれた何か、8月の息のできないような暑さの中に含まれる、じっとりとしたほの暗い空気…お盆、いや東京育ちの私にとってはブルーライトごしに見る平和式典、または終戦記念日、きゅうりの馬もナスの牛も、もうずっと見ていない、精霊馬を見るとおばあちゃんがあげる線香の香りがどこからともなく漂ってくる…、9月になるにつれ私の網膜には関東大震災、の後に起きた朝鮮人虐殺への追悼の情報がちらつくようになる、今年は式典が台風で延期だそうだ。私の手の中から私を照らす、6インチの強烈な光は、過去から未来までの死者を手元に連れてくる。手の中のひかる墓標。光は網膜を突き抜けて私を眠らせまいとする。眠りたいのに、もう何年も眠ることができない。しかし、この墓を手放したら、私はいよいよ暗闇の中で何も見えなくなってしまう気がしている。 – KOMIYA Marina Lisa 小宮りさ麻吏奈 “more..”
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霊的自動機会
駅のロータリーにあるカフェで少し休んでいた。席を立って食器を返却口に運ぶ途中、近くの席からこんな話が聞こえた。「飲みきったつもりでも少しだけ飲み残してしまっている人は、霊が取り憑いていて、意識せずにお供えをしているらしいわよ。」返却口は、お盆にお皿、カップとグラスで混んでいて、ひしめき合った器の中には濃度が微妙に異なる液体が。途端にカフェの返却口がまるで祭壇のようで、妙に納得してしまった。ちょい残しをして席を立つ人たちは、知らず知らず霊の世話をしているのかもしれない。以前、「サイコロを振るときに目を瞑る人は信心深い人である」と聞いたことがあるがこれも似たような話だろうか。古代ギリシアに残された記録によると、かつてフレニティスという病の単位があった。フレニティスとは「魂の座の炎症」という意味で、医家は何らかに占められた座を羅患部位とした。その単位に基づいて考えてみると、不調症状とは、座を何かに占められていることの現れだと言える。私たちが何かに座を占められつつもてなしていることが日常的な仕草に見て取れる。迷信だと片づけられたとしても、昔も今も、不調と癒しは端的に同じ座にいたがっている。 – MELANKAORI “more..”
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〈아포크리파 휴마나 (APOCRYPHA HUMANA)〉에서 발췌
야마구치 테츠오 역 타임라인 배경 회색 마법은 무의미한 세계를 위한 마법이다. 더 이상 영원한 구원이 불가능하므로, 우리는 윤회의 속박에 갇혀 목적을 찾는 잊혀진 영혼들을 소환한다.… “more..”