ゴーストとして久々のパーティに参加できることと、百物語の百話目を聞けることを楽しみにしていた。
今回の会場は元々ホテルだったようで(今も?)ホテルの内装がそのまま使われており、怪しげな雰囲気がゴーストたちを呼び寄せているようでゴースト心が揺さぶられた。会場に着くとまず、一人ずつ個室に案内される。扉をノックし中へ入ると、仮面を被った黒いマントの何者かが机に座ってこちらを向いており、ゴーストとして記入してきたアンケートをもとに質問される。その問いに答えられるとやっと、メインのパーティへと進めるのだ。この「儀式」を経ることでより自分のゴーストとしての記憶、意識、そして身体をより確かなものに出来た。祖父が私にとって1番身近なゴーストであることや、ひとりぼーっと空想の世界に入っている瞬間が、自分にとってとてもゴースト的な時間・空間であること(この場にいるようでいないような、どこにいるか分からない状態)を思い出すことができた。
パーティ最中には、メイン会場だけでなく、恥ずかしがり屋なゴーストの部屋や、女ゴーストの部屋にも案内してもらえた。その室内にあった大きな鏡を見た時、映るはずのない私の体が写って見えた時、これが他者に見えていない可能性を意識してみて、「自分自身がゴーストであること」の不確かさ、究極的には自分しか自分を認識できないのではないだろうか、と思わされた。その時孤独を感じるかと思ったが、そんなことは無かった。それはなぜか、私にはまだ分からない。各部屋での少人数の会話は、なんだかパーティを抜け出したゴーストたちの内緒話のようで、特別感があり楽しい思い出だ。
また、会場の薄暗い室内では格好や表情も分かりづらく、いつもよりも視覚的な情報量が限定される分、みんな心なしか声量が落ち着いており、いつもは感じることのない音にも気づくことができたように思う。(音を集めているゴーストがいたからかもしれないが)密かな談笑のざわめきが心地よかった。
子供の頃、遊園地など旅行で遠出する際、日が沈む頃には疲れて眠くなって、世界が夢の中になるような、夢の世界を歩いているような、そんな感覚になっていたことを思い出した。すっかり忘れていたその感覚は、楽しくお酒を飲んだあと帰宅する時のそれに、少し似ていることに気づいた。
会場のゴーストたちはみんな様々であり、思い思いに交流していた。インタビューをするゴースト、ディズニーランドが好きなゴースト、ドリンクを振る舞ってくれるゴースト、毛布に包まったゴースト、音を集めるゴースト、頭に冷えピタを貼るゴースト…。コミュニケーションも様々で、言語の違いだけでなく、筆談するゴーストや、生前の記憶を持ちゴーストを信じていないゴーストも参加していた。みんな思い思いに祭壇の上の食事を食べ、それぞれの百話目を語る。私のお気に入りの「忘れっぽいゴースト(?)」の話のロウソクは、いつの間にか居場所が分からなくなっていて、そこもまた「忘れっぽい」私に似ていてますます気に入った。またゴーストの彼らと出会うことはできるだろうか。あの日、百物語の百話目は語られていたのだろうか。今のところ、恐れていたような不吉な「何か」は、まだ起こっていない、はず…である。

– K.C.,《百鬼夜行》21時参加