死の恐怖とは誤謬だ。生から死へ移る時、意識が途切れるのだとすると、あるのは死に至るまでの苦痛への恐怖だ。では、死に至るまでの苦痛への恐怖の根拠はどこにある?それは、命だったものを食らい、「美味しい」と言って誤魔化してきた不実な人間精神にある。「地球の生命体は皆兄弟」と真実めいたことを大袈裟に叫ぶ時、人間は単なる兄弟殺しであることが明らかになる。兄弟殺しの最大の罰こそが、死に至るまでの苦痛への恐怖。故に、生に内在するこの不道徳を認めてはならない!だからこそ、死は最大の過誤であり、悪徳である!しかるに、生に死は必ず訪れる!なんという無意味!なんという矛盾!なんという虚無!
……ここまで思索した挙げ句、私は光の一切差し込まない防空壕へ入り込み、その入り口を爆破し、金輪際、日のもとへ戻れないようにした。しばらくして、そっと目を閉じ、すっと耳を塞ぎ、ふっと息を止めた。時間の感覚がなくなった頃には、「鬱」と「美しい」という二言が暗い頭蓋の内で反響し木霊しそして一体となった。「うつ」という響きの充満で無意味性の極限の果てを直観し、一筋の光明を目蓋の裏に感じるようになった。その時にやっと、わかってしまうのだ。現宇宙こそが不自由という足枷を嵌められた亡霊で、亡霊宇宙こそが真の自由の実体、すなわち虚体なのだと。
– TAKATAKE Yoshiki 高竹義樹
